オバマ移民法は次期大統領選挙の布石なのか?
議会との協議もなく、議会を無視した形で進められるオバマ移民政策は共和党与党の議会で強い反発を生みだしている。 おかげさまで、とは言わないが、すでに座礁しているTPP問題はさらに浸水が始まることになる。また、300万もの移民がアメリカ国民として同じ待遇を得るとなると、すさまじいハングリー精神の持ち主で、激しい労働生活を生き抜いてきた人々、そして場合によっては高学歴の者までが労働市場に流れ込んでくるので、アメリカの雇用情勢は緊張することになろう。ある意味、オバマの経済政策とも矛盾している。 だから、この措置は「人道的配慮」を別な議論の場においても、基本的には次の大統領選をにらんだオバマ大統領の起死回生の一撃になるかもしれない、と本人とスタッフは考えているのかもしれない。ともかくエスニック票は民主党候補者への追加票として大規模に貢献するのだろう。 日本ではこの問題は対岸の火事というか、まったく注意が払われていないが、世界中でこの難民問題が大きな政策課題として浮かび上がっている。 それは一つにはアジアがまだ経済成長の路線に乗っていて、差別や貧困を自国内で

シドニーTPP閣僚会議報告
鉄は熱い内に打てというわけで、10月26日ー29日に出張したシドニーTPP閣僚会議監視報告を衆議院議員会館で行った。 この会議には、アメリカから中間選挙直前の対日強硬派のレヴィン下院議員が初参加。ひょんなところから、同議員の登場を知って、会談を要請。篠原孝議員と一緒に面談した。 会議自体は閣僚を送ってこない国や途中で帰国する国、ますます膨れ上がる意見の相違と新たなテーマ...と言う感じで、とても大筋合意などという雰囲気ではなかった。議長国のオーストラリアは責任上一生懸命やったと思うが、最初の一日で会議の結末は見えたと思う。 今日の国民会議の報告会では、11月4日に行われたアメリカ中間選挙の分析も報告した。一部の新聞などでは、共和党勝利をうけて、これでTPP交渉にはずみがつく...みたいな論調で書いているが、とてもそんな状況ではない。TPP交渉はさらに混迷の度を強めていくだろう。 報告レジュメは下記: 『シドニーTPP閣僚会合出張報告および アメリカ中間選挙結果をふまえてのTPPの行く末についての私見』

アメリカの中間選挙に利用されたTPP閣僚交渉
オバマ大統領が明言する今年中のTPP合意文書形成!そのためにはまず日米合意が必要ということで、交渉進展のない事務局会合、主席交渉官会合を飛び越えて一挙に政治決着を図る...と意気込んで甘利大臣はワシントンに向かったが、そこは貿易交渉の地ではなく、11月4日の中間選挙の戦闘地域。 この日経新聞の記事では、車部品とか、牛肉関税定率化などで合意せず...みたいな記事になっているが、アメリカはこんな時期にそんな問題で譲歩する意思はさらさらない。 これまである程度の合意が形成されていたアメリカの自動車部品関税撤廃だが、今回は急にちゃぶ台返しの関税維持をUSTRが言い出し、交渉は最初から破綻。。。というが、 要するに今回の交渉はオバマ政権が「日本を厳しく指導している」という政治ショーであって、そんなところにのこのこ出て行く甘利大臣の政治センスを疑う。 TPP交渉は完全に乗り上げており、時間がたてばたつほど問題は多面化し先鋭化してくる。そんな状況を理解せず、日米間の農業と自動車の交渉が決着すればTPP全体が成立すると誤解しつづけている日本政府の国際経済への無理

戦艦ミズーリはなぜパールハーバーに在るのか(3)-カミカゼが残した5cmのくぼみ-
大勢詰めかけたアメリカ人観光客がほとんど関心を示さない後部甲板の片隅にその掲示はある。 上の写真は、太平洋戦争の写真の中でも特に劇的な、沖縄戦の最中、ゼロ戦がミズーリに突入する瞬間の映像だ。 この時期にはアメリカ軍は現代兵器の先駆けとなる電子兵器やシステム的な防空システムを完成させ、上空からの突入はもう無理だった。特攻機はレーダーに発見されないよう、そして対空砲火のドームに引っかからないように、鹿児島から海面すれすれを飛行して突入した。 特攻機からすると、限られた視野の中で敵艦を発見することすら困難だったはずだ。 その中で弾丸の壁を突破してアイオワ級戦艦に体当たりしたこと自体、奇跡に近い。 搭載された爆弾は破裂しなかった(あるいは海中に落下していた)。鋼鉄の塊に、ジュラルミンと木でできた機体はそこに激突して5cmのくぼみを作った。それが今でも残っている。なぜ爆弾が不発あるいは海中落下したのかわからない。しかし、客観的に言えることは、空戦性能向上のために操縦席の防弾すら犠牲にして軽量化した機体に、250キロの爆弾を外装着すること自体が無理というか無

戦艦ミズーリはなぜパールハーバーに在るのか(2)
戦艦ミズーリは敵国日本を降伏させた証として、ちょうど開戦時の記念碑とのペアで、降伏調印が行われた記念碑として展覧されている。 将軍の前で降伏宣言に聞き入っている日本代表そしてそれを見物する各国代表や多くの水兵....の写真は何回も何回も目にしてきた。しかし、その場所は戦艦で最も広い空間すなわち、第一主砲と舳先のひろい甲板で行われたのばっかり思っていた。ところが実際の署名場所は第二砲塔の横、テニスコートというより卓球コートのような狭い場所で署名式典は行われたのだ。その場所が甲板上に残されている。ここがジャップが降伏した場所だ! 降伏文書のレプリカ展示の下に、そのシーンの写真がある。不思議に思うのは、マッカーサー以下皆、座って署名しているのに、重光葵外務大臣と梅津美治郎参謀総長は立ってサインしている。敗戦国の代表には椅子すら与えないということだろうか? 同時に、この文書で、歴史的な椿事も目にすることができる。降伏文書に署名するカナダ代表が署名の欄を一行間違えて、以下のほかの国含め署名者がすべて他国代表になってしまったのだ。これでは正式の国際協定として

戦艦ミズーリはなぜパールハーバーに在るのか(1)
戦艦ミズーリ(アイオワ級BB53)は太平洋戦争末期に就役し、沖縄戦他北海道や日立での艦砲射撃に参加した。その後、巨額維持費が無駄とと批判され、巨体をもてあましながら生きながらえて、第一次湾岸戦争にも現役参加し、クウェートでフセイン軍陣地に艦砲射撃や巡航ミサイルを発射するなど、効果的な攻撃でというよりアメリカ海軍の栄光のシンボルとして1992年にロングビーチで退役した。それがなぜニューヨークやボルチモアでなく、パールハーバーに繋留されているのだろうか? それは言うまでもなく、その舳先にあるアリゾナ・メモリアルにある。1941年12月の真珠湾攻撃時に1000余名の乗員とともに沈み、いまなお海中から重油をもれ続けている戦艦アリゾナが、アメリカの太平洋戦争の犠牲のシンボルなら、1945年9月に艦上で、憎むべきジャップを降伏させ、衆人環視の下で降伏文書に署名させた戦艦ミズーリはアメリカの勝利と栄光のシンボルであり、いまなお海中に残された乗員に「このようにジャップをやつけましたよ、安心してお眠りください」という慰霊のメッセージなのだ。 私は別にそうしたア

パールハーバーで展示されている「回天」に想う
パールハーバーは現在、展示のほとんどが民間委託されていた。有名なアリゾナメモリアル(1000余名の乗員とともに沈没した戦艦アリゾナの上に建てられている)も以前は見学無料だったと記憶するが、今では愛国心発揚にもお金を取るらしい。アメリカ人観光客の人気はJAPの船を何十隻も沈めた潜水艦だ。その傍に、人間魚雷の回天が展示してある。まあ、誰も見ない。たまに東洋人やマニアが写真を撮りに来る程度だ。 なぜ回天がここにあるのか?それは言うまでのなく、戦利品だからだ。歴史ではなく、戦争に勝った証としての展示物だ。ここだけでなく、アメリカ各地で、それは常に美と愚の対比というかたちで展示されている。 特定目的のために全ての無駄(?)な要素を切り捨てた船体には、一種の構造美があるのを否定できない。
しかし、ただでさえスペースの無い、潜水艦に搭載するという無理な設計から、回天の潜行は安定せず、実戦いぜんの訓練中に多大の事故と犠牲を生み出した小型潜水艇を日本は「回天」と命名した。明治維新の回天の偉業から採ったものだろう。このような空疎な命名こそ、日本の当時の軍と政府の

御用新聞にもアベノミクス死亡広告
円安になっても輸出は増加せず、輸出増加のドライブを成長戦略の核に予定したアベノミクスの原理が根本から否定されたのはもう何ヶ月前か?ついに最近では円安になっても株価は上がらず、GPIFによる国民最後のよりどころの年金もぶち込んでの株価操作も効かない状況となった。 一方、輸入価格は残酷なまでに冷徹に円安を反映して上昇。政府は農産物の輸出が増加したと大宣伝しているが、そんなキャンペーン輸出を尻目に、生活必需品は着実に確実に上がり続けている。TPPが万一成立したら、農産物のほとんどが輸入になるだろう。TPPは是非を問うのではない、単純に日本社会の自殺行為なのだ。 アベノミクスはもう何ヶ月も前に死亡が確定したのだ。そんなことはミンナわかっている。そして今日ついに官報にそれが貼り出された。そういうことだ。 すとう信彦 & his band 社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち http://blog.goo.ne.jp/sutoband/e/b322789e9464a3f65c4eac5ff864d5da #アベノミクス #円安 #

ダストボウル:オクラホマの砂嵐は何を生みだすか?
イギリスのBBCとアメリカのABCやCNNとをモニターしていると、いかにグローバルニュースとはいえ、ローカル要素が強くでて参考になる。しかし、その一方で英米の差を感じない同じニュースがながれていることがある。イラクのISISの侵攻がその例だ。連日のごとくISIS(ISIL)の脅威やその背景分析などが流され続けている。が、今日は英米で流されたオクラホマのダストボウルのシーンに驚愕。同じ映像を見たことがある。それが80年前のこの写真だ。家の格好や人々のきている服はちがうけど、まるでデジャヴの世界だ。 世界大恐慌の後遺症が続く中、アメリカ中西部で1930年代、ダストボウルと呼ばれた乾燥した台地の暴虐が吹き荒れた。砂嵐はオクラホマ農家の多くを破滅させ、多くは「乳と蜜の流れる」と宣伝されたカリフォルニアに難民となった。それがスタインベックの「怒りの葡萄」だ。400人の募集に押しかけた2万人は忽ちのうちに悲惨な状況に追い込まれる。ここに込められたのは、聖書の世界の再生だ。しかし、追われた農民は敵ではなく、当局によって攻撃される。アメリカのオキュパイ運動や、9