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「民主主義を超える民主主義」を目指して

New Society with New Democracy

日本の政治の限界点を突破し、

新しい民主主義をつくり出すための

7つの視点

どのように政治を刷新していくか

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1.なぜバンドが求められるのか?

Why we need  ”Band”?

 私は1990年ごろからさまざまな市民活動やNGOに携わってきました。その当時、新しい市民活動の組織としてはネットワークやフォーラムと名づけられた集団の活動がありました。またそれ以前にセンター、協議会などの名称で表現された集団の活動もありました。しかし、名は体を表すで、センターや協議会は問題の研究や議論の中心にはなっても、それ自体が行動して社会に働きかけていくわけではありません。同様に、フォーラムも「同じ様な問題意識」を醸成するには役立っても、そこでの情報や知識、到達した結論がどんなにすばらしくても、実際の社会に働きかけていく行動体を欠いているゆえに、現実にはほとんど直接的な効果を生み出しませんでした。

 

 ネットワークも課題を理解し問題意識を共有する人々の輪は広がっても、それが現実社会に何層にも重なった既得権益や保守勢力の壁を突破する力とはなりませんでした。しかし、その中でも神奈川ネットワーク運動の活動は非常に参考になりました。これは生活クラブ生協の生協活動の理念と、当時まだ潤沢に存在した「主婦」のネットワークとその理念を実現するための活動を伴った、世界にも類を見ない先進的な組織で、横田克己さんという天才的な活動家がデザインを描いて、現実政治の中でも神奈川県で大きなムーブメントを生み出しました。神奈川ネットワーク運動はよく「神奈川ネット」みたいな表現で語られますが、そこに付け加えられた「運動」という言葉は、ネットワーク組織が単なるネットではなく、「運動」を伴わなければ意味が無いのだという創始者達の強い思いがここにこめられていると思います。

 

 神奈川ネットワーク運動は、当時の旧態依然とした政治の世界においても、ローカルパーティの概念を持ち込み、地域には地域の問題があり、それを永田町への陳情ではなく、地域で解決していく地域主権の概念を提唱しました。その神奈川ネットワーク運動が現実政治と地方行政の中で、壁にぶつかり、分裂し、今日ではその当時のダイナミクスは維持されていません。実はこの神奈川ネットワーク運動が考え出した政治のシステムを創生期の民主党が採用し、民主党の急成長その一方で、ローカルパーティの衰退につながっていったのは歴史の皮肉としかいいようがありません。

 

 しかしながら、やはり、ネットワークには、現実の壁を壊すだけの力が無かったのも事実です。ネットワークの拡大は「横への広がり」であって、目の前にある壁に「縦に切り込む」ダイナミクスは乏しいのです。 ここに、現代社会そして停滞腐敗した日本の政治を変えるために、そこに縦に切り込んでいく高い専門知識と問題意識を持ち、激しく行動する一群の人々の集団:バンドが求められるのです。

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2.ピーター・ドラッカーの組織論:オーケストラからバンドへ

Orchestra to Band

 バンド(band)という組織概念の重要性を考えるようになったのは、研究者として大学で教えていた時期に接した、経営学の大家ピーター・ドラッカーの論文からです。ピーター・ドラッカーは言うまでもなく、産業社会にいて、企業経営や工場経営における組織と経営の在り方を分析し、経営者を指導してきました。ピーター・ドラッカーの経営学は日本で最も高く評価されたとも言われます。

 

 しかしながら、エレクトロニクスの発達や知識・情報・サービスなどを中核とする第三次産業の拡大などによる脱工業化社会において、彼の経営学や組織論は必ずしも現実に有効な理論とはいえなくなりました。そこで彼は、企業のような営利組織からNPOなどの非営利組織までその対象を広げました。同時に、彼は、組織そのものも脱工業社会に対応しなければならないとして、「オーケストラからバンドへ」という組織の変革を提言したのです。

 

 オーケストラでは、沢山の楽団員は皆長い間同じ組織で働いていて、演奏する楽器も専門化された一種類の楽器だけです。ビオラとバイオリンは恰好も似ているので、素人考えではどちらも同じように演奏できそうですが、曲や楽章に合わせて楽団員がビオラをバイオリンに持ち替えて演奏することはありません。そうした細分化され専門化された人員の頂点に立つのが指揮者で、彼の(彼女の)タクトの一振りで音楽が始まりそして終わるのです。

 

 しかし、ジャズ・バンドはそうではありません。数人のメンバーも、コアメンバー以外は流動的で、曲によっては臨時に参加する人もいます。他に仕事をしていて、演奏の時だけ、しかも自分が担当する曲のときだけ仕事場からかけつけてきたりする人もいます。大体は2種類の楽器をこなし、ギターとパーカッション、ピアノとベースなどという、まったく異なった楽器を器用にこなす人もいます。曲をリードするのも、指揮者というより、音を会わせながら、どこかの瞬間でその曲のリーダーの目配せなどで、曲がスタートするのです。曲の途中でアドリブを入れたり、観客の反応がよければ、しつこいまでに同じサワリを繰り返したりします。要するに、環境を演奏の中に組み込んでいくのです。 ピーター・ドラッカーは脱工業化社会においては、このような組織形態が必要だというのです。

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3.バンドは人類最初の集団

Band in the History of Humankind

 辞書を引くとバンド(Band)とは「共通の意思と方向性とを持ち、自発的に行動する小集団」「人類の最初の組織」ということが書いてあります。人類がようやく樹上生活から地上に降りて生活しはじめたころ、採集生活では栄養が足りずに飢餓状態に陥ります。

 

 そこで、力のある者が小集団を作り、草原に出て肉食獣と渡り合い、森の奥に分け入って恐怖におののきながら食べ物を探し、それを家族のところまで持って帰ってくるのです。石器時代の人類の姿を描いた映画などでそうしたシーンをみることがありますが、そうした強い意思と覚悟を持って協働し行動する集団をバンドというのです。

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4.近代日本を生みだしたバンド

Band in Moderne History of Japan

4.近代日本を生みだしたバンド

Band in Moderne History of Japan

 今では、バンドをやってますと言えば、「ロックでもやってるの?」と言われそうですが、日本史において、バンドという組織形態が社会改革の旗手として登場したことが一度だけあります。それは幕末から明治初頭にかけての時期です。

 

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」の中で、同志社大学の創始者:新島襄のところに熊本から学生が押し掛けてきて、それが熊本バンドとよばれる集団だったという話をご記憶の方もおられるでしょう。当時、日本には熊本バンドの他に、横浜バンドも札幌バンドもそして各地にバンドを称する小集団が沢山出現していたのです。

 

 明治維新というと、幕末に後世明治時代に名をなした若者のほとんどが長崎に留学しました。幕末というと、坂本竜馬の海援隊とか、脱藩浪士とかがテレビの中の主役ですが、大量に各藩派遣の留学生がいたのです。当時の意欲ある若者がなぜ皆、長崎へ長崎へと留学したがったかというと、むろん、西洋の科学技術を知りたいという気持ちは強かったと思いますが、それはある程度は、江戸でも各地の藩校や藩お抱えの学者の下でも知り得たのです。それが絶対に長崎でなければならなかったのは、そこへ行けば、そこにしかない禁教のキリスト教の聖書(漢訳)があったからです。

 

 西洋の勢力がアジアの国を次々と植民地化していく状況がすでに日本中に伝えられ、その西洋の精神の真髄がそこにあると考え、多くの若者が禁を犯しても見たかったはずです。奇兵隊を起こした高杉晋作が聖書を読んでいて、突然「これだ!」と叫んだという逸話が伝わっています。どこに感動したのかはわかりませんが、おそらく12人ほど同志がいれば世界は変えられる...と考えたのでしょう。この禁断の聖書の威力はものすごく、最も意識も意欲の高い青年がたちまち感化されて、キリシタンバテレン法度の江戸時代末、そして明治維新後もまだ禁教の時期に、勝手にキリスト教を勉強したりその教えを人に伝えたりする若者の集団がでてきました。それをバンドと言ったのです。

 

 最初に外国からの情報が伝わりやすい横浜で明治維新後に「横浜バンド」が作られ、北海道では有名なクラーク博士の下で「札幌バンド」が形成され、後の北海道大学に発展しました。そして急進的な侍の牙城であるはずの熊本バンドが形成され、それが京都に流れ込んで同志社大学の基礎を作ることになったのです。

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5.ネットワークからバンドへ

Network to Band 

 この幕末から明治維新にかけてバンドが登場した状況は、現代社会の組織論としてはバンドが参考になるというピーター・ドラッカーの主張の背景となる状況と似ているのです。それは社会がどのように進むかわからない、確立した価値観やルールがあるわけではなく、また社会全体が激変し、先の見えない状況においては、多くの人や組織をがっちりと構築するより、問題を把握し、意識の高いものがともかく少ない人数でも直接に行動に結び付けて閉塞状況を打破していく、ということにあります。

 

 実は東洋社会において、同じようなことを言っている先達がいるのです。それが中国の春秋戦国時代の墨子です。中国でもその時代に、孔子のように保守的な道徳と社会秩序を説くのではなく、問題意識を持って行動する者のプロ小集団を作り、彼らが現実社会・現実政治の中で行動し旧秩序を変え、社会の弊害を取り除いて問題を解決し新しい社会を作ろうとしました。

 

 彼の「有力者疾以助人、有財者勉以分人、有道者勧以教人(力のある者はすぐに行って人を助け、財のある者は、もっと稼いでそれを人に分け、知識のある者は積極的にそれを人に伝えよ)」はまさに彼の思想を表現したものです。 現代社会はまさにそうした既存の秩序の腐敗と停滞、激変する社会、先の不透明な状況の中で、問題を認識し、改革意識の高い小集団自らが行動して社会問題を解決し新しい秩序を作り出していかなければならないのです。

 

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6.どう行動をはじめるか?:

“カモネギ主義”の勧め

How to start your Action 

 鮮明な問題意識を持ち、行動しようとするバンドが形成されたとき、最大の障害はそれをつぶそうとする既存勢力でも、保守的な社会秩序でも保身的な周囲の人でもありません。それは実は行動する前提となる資金です。

 

 よく「新しいこと正しいことを言い出すのは、黙っていることより10倍エネルギーがいる。それを実施することは100倍のエネルギーがいる」といいますが、行動するということはそれ自体、たとえそれがボランティア活動であっても、膨大なエネルギー、もっと現世的に言うならば要するに資金が必要なのです。

 

 確かに活動のための資金は必要です。いやむしろ困難な仕事ゆえに、「潤沢」に必要なはずです。しかし、それは日本社会ではどこからも出てこないのです。日本がむしろ前近代的な要素を残していた時代には、個人や資産家や豪商などから資金が提供されました。それが明治維新の原動力につながっていったのです。しかし、日本が近代化し、軍事国家化する課程ですべての金は政府に吸い上げられて、国家意思で配算されることになりました。それでも裕福な企業や財界などから巨額の資金がさまざまな目的に投じられ、その名残がいまでは建物の名前などに残っています。戦後においては、高度経済成長期が終焉し、厳しい財政負担が課せられるような状況で、社会にそうした余力はほとんど残っていません。それを無理して資金を作りだすわけですから、結局その資金調達は腐敗と既得権の温存と拡大につながっていくのです。

 

 ですから、行動するには、行動する者が自ら資金を担いで参加しなければなりません。それを私は「カモネギ主義」と呼んでいます。すなわち、カモ鍋を食べたいと思ったら、誰もカモ肉を買ってきてくれるわけではないから、自分が鴨になって鍋に飛び込んでもらわなければならない。ついでにネギもしょってきてください...というのです。実にフザケタ考え方ですが、これもNGO活動の間に思いついて、最初は冗談で言っていたものです。

 

 私は1990年ごろから紛争解決・平和構築のNGOインターバンドを作って活動していました。当時はけっこうNGOは人気で、「アフリカを救うのに毛布を送る」「カンボジアに学校を建てる」「ボスニアに医療品」を送るなどの、要するに「かわいそうな子供たちにモノを送る」援助活動が人気を博していました。しかし、その多くが実は豊かな国の勝手な思い込みで、日本に余っているものを送っても、そんなに効果があったわけではありません。それよりも飢餓や紛争の実態情報を伝える、紛争を停止させる。現地でしっかりとした行政組織を立ち上げるなどの活動が必要でしたが、そのようなものは援助の対象でなく、アドボカシーを含めてそうした活動にとりくむNGOにほとんど公的私的支援が回らず、苦しい運営をつづけてきたのです。

 

 そのとき、スタッフのみんなで話し合ったときに出てきたブラックジョークは、我々みんな紛争地や危険な作業に従事するのだから、高額の保険をかけて、誰か一人が死んだら、その保険金でNGOを続けてやっていこうということです。むろんジョークで、どっと皆が笑って座が和みました。しかし実際、私は当時は貧乏助教授でしたが、旅行保険は1億円ぐらいかけてました。

 

 もう一つは前述のカモネギ主義です。いずれもあくまで悪い冗談の中での話で、特に最初のものは、反社会的な発想です。しかし、二番目のものは、現実には誰もネギをしょってはきませんが、一応、その精神性は大事にしようと思いました。ですから、バンドも基本的にはカモネギ主義、それぞれが各々もってこれるものを持ってきて貢献することを基本としようということです。

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7.政治刷新のために

For Political Reform

 日本の政治は極端な官僚政治です。現代社会では高度な専門知識を必要とするので、どこでも官僚の影響力は強いのですが、日本の特殊性は自民党の政権が半世紀にわたって続き、官僚組織の変革をもたらす「政権交代」がなかったために、官僚が圧倒的な政治支配力を持つにいたったことです。いつしか官僚は行政だけでなく、国家の長期ビジョンや基本戦略まで策定し、専門知識を持たない政治家はただひたすら利権獲得と選挙活動に明け暮れるという腐敗した政治システムになってしまいました。

 

 これからは、官僚に対抗するだけでなく、官僚をしのぐ専門知識、情報と実務能力を持った政治家の登場が必要です。政治家が選挙活動や地元活動を離れて政策を研究し、ビジョンをもち、官僚に依存しない政治活動ができることが重要です。また、選挙がすさまじい資金と時間と人的資源を必要とするがゆえに、政治家は業界団体や大企業そして労働組合、宗教団体へ依存するか、大金持ちでなければ立候補できない実体があります。これでは女性・若者そして年金生活の高齢者はまったく候補者になれなくなってしまいます。

 

 すなわち、民主主義の基本である、さまざまな人々の意見が代表されるという前提自体がもう崩れているのです。これからは多様な人材を政治の世界に送り出さなければなりません。これまでのように業界や組織の御輿にのった凡庸な人物や、表面的な人気ではなく、社会の現実の中にいて、しっかり問題を把握し、問題の解決に全力で取り組む人材が必要です。わたしは、これからの求められる人材には原則、次のような条件が必要と考えています。

 

原則

1.政治家を目指す者は職業に従事していること。

2.  政治家を目指す者は、社会活動・政治活動を少なくとも5年間続けた実績のあること。

3.政治家を目指す者は、社会の現場で問題点・課題そして解決策を研究すること。

4.政治家を目指すものは政治活動を日々の生活の中にビルトインして取り組むこと。

 

 新しい政治には政治制度の改革と同時に、政治風土や土壌の改革そして何より、政治に取り組む人材の発掘と育成が急務だと考えています。ぜひ皆さん、われこそはと思う方は、身近な生活の課題から国のあり様に至るまで、現在の社会に対する「自分自身の問題意識」を大きく掲げ、新しい政治のあり方を目指して、ともに活動していこうではありませんか!

 

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