戦艦ミズーリはなぜパールハーバーに在るのか(3)-カミカゼが残した5cmのくぼみ-
大勢詰めかけたアメリカ人観光客がほとんど関心を示さない後部甲板の片隅にその掲示はある。
上の写真は、太平洋戦争の写真の中でも特に劇的な、沖縄戦の最中、ゼロ戦がミズーリに突入する瞬間の映像だ。 この時期にはアメリカ軍は現代兵器の先駆けとなる電子兵器やシステム的な防空システムを完成させ、上空からの突入はもう無理だった。特攻機はレーダーに発見されないよう、そして対空砲火のドームに引っかからないように、鹿児島から海面すれすれを飛行して突入した。
特攻機からすると、限られた視野の中で敵艦を発見することすら困難だったはずだ。 その中で弾丸の壁を突破してアイオワ級戦艦に体当たりしたこと自体、奇跡に近い。
搭載された爆弾は破裂しなかった(あるいは海中に落下していた)。鋼鉄の塊に、ジュラルミンと木でできた機体はそこに激突して5cmのくぼみを作った。それが今でも残っている。なぜ爆弾が不発あるいは海中落下したのかわからない。しかし、客観的に言えることは、空戦性能向上のために操縦席の防弾すら犠牲にして軽量化した機体に、250キロの爆弾を外装着すること自体が無理というか無意味だった。
サラブレッドの競馬馬に道産子レースの橇を引かせるといったら、みんな笑うだろうが、同じことがまじめに批判をゆるさず行われ続けた。
最近、ゼロ戦を美化した映画や小説が脚光をあびた。ゼロ戦の初期の活躍はすばらしい。しかし、たちまち戦争の冷徹な合理性の壁に消耗していった。それでも過去の栄光が忘れられない日本は本土防空戦闘機の代わりに、空戦戦闘機を作り続け、そしてそれに重い爆弾をくくりつけて片道旅行に送り出した。長期の戦争遂行という視点からは、ゼロ戦は実は欠陥機なのだ。
世紀の大成果を挙げた特攻機の操縦者は記録されていない。勲章も授与されていない。なぜか?日本は特攻の客観的評価を行っていなかったからである。
評価があれば、このパイロットは賞賛されただろうし、そもそも無成果な特攻自体が早期に否定されたろう。 突入箇所に残されたパイロットの上半身は、ウイリアム・キャラハン艦長によって翌日正式海葬された。艦長には日本人を代表して心からお礼を言いたい。
特攻機が作った5cmのくぼみは、私の脳にも同じ深さのくぼみを作った。