サイパン引揚者の戦争体験
大倉山の朝食会で、港北在住のKさんの戦争体験談があった。
サイパンは東京空襲の拠点で、米軍はこの日本軍の飛行場のある島に大規模な攻撃をしかけた。そのなかで当時9歳のKさんは攻撃が始まった空港のある南部から一家6人で北部に逃避行をするのだが、聞いているそしてスライドをみている私には、69年前じゃなく、今、シリアで起こっている現実のような気がした。
逃避行をリードしていた父親ともう一人の親戚が潜んでいた洞窟をでたあと、しばらくしてパンパンと二発の銃声が聞こえ、そのあとしばらくして米兵が洞窟に来たという。米兵は「デテコーイ、デテコーイ、ミソアリマース」と呼び掛けていたということだが、Kさんが真似するその巻き舌のアメリカ訛りの英語が本当にリアルに聞こえた。きっとその音は今でも脳裏にこびりついているのだろう。
「味噌あります」というのは「水あります」の発音があやふやだったから、そう聞こえたのだろうが、逃避行で一番苦しかったのはやはり水がないことで、水の入ったヤカンを子どもが手放さないのを母親が鬼の形相で取り上げる漫画の挿絵が胸を打った。
米軍はよく研究していて、だから「水がある」といえば隠れている住民がでてくることをよく知っていたのだろう。アメリカは戦場にも社会学者や心理学者の卵を動員していて、捕虜や負傷兵や避難住民へのヒアリング分析を早い段階から執拗に行っていた。このへんがアメリカの科学性で、竹やり精神主義のどこかの国と違ったところだ。
一家は21年に浦賀に帰国したそうだが、その時は幼児2人を収容所で失い6人の一家は半分の3人になっていた。しかし、一家の逃避行をリードした父の姿が現れないことと、洞窟に米兵が現れる直前の二発の銃声との関係を母と子どもはいつ理解したのだろうか...
今日の朝食会がこのような話になるとは実はよく理解していなかったが、会場はいつになく一杯で、多くの人が「あらためて戦時のことを聞きたい」という気持ちそして、戦争の再来に漠然とした不安感をいだいていることがよくわかる。
驚いたことに最後のスライドで天皇がサイパンで「バンザイクリフ」を慰霊している写真で、天皇を元首と書いてあるところに、クレームがついた。この会合はどちらかというと平均年齢が高く、保守的な雰囲気だなあと日頃感じていたが、それでも戦争を体験し、またおぼろげながらも戦争体験を子どもの時に聞いた人にとって、やはり戦争の実態、靖国神社と戦争責任、集団的自衛権行使を進める現政権と憲法問題に多くの人が、立場や信条を超えて現状の日本に強い危機感をいだいていることが感じられた瞬間だった。