アクト・オブ・キリング 虐殺はかくも日常的なのか?
”アクト・オブ・キリング”を視る。渋谷のイメージフォーラムは久しぶりだ。
題材は、1965年インドネシア虐殺のドキュメンタリー映画だ。この事件を知らない世代がほとんどになった。そりゃそうだ、インドネシアは今世紀には経済力世界第九位の超大国になる。この事件は日本では東京オリンピック、中国では文化大革命、東南アジアではベトナム戦争と重なる時期に、起きた。その当時の国際政治情勢のすべてが絡む事件だった。想えば、小生が紛争解決や平和構築に取り組むようになったことの原点なのかもしれない...。
日本でもこの事件はほとんど報道されなかった。当時、小生はマレーシアの華僑に中国語を習っていて、彼から100万ともいわれる大虐殺の状況を聴いた。名目は共産主義者抹殺だが、多くの知識人そして華僑が組織的にせん滅させられた。
実は今もこの拡大する中国圏の問題は表現を変えて、何度も浮かび上がってくる。1999年にスハルト独裁体制崩壊を受けて実施された選挙で、ANFRELと組んで選挙監視に行った。友人を東チモールやアンボンに送り出して、小生が入ったのは西ジャワのタンガランだ。そこでは直前に再び中国系住民が殺されレイプされた...
主演のアンワル・コンゴは本当に元虐殺者なのか?それともインドネシアを代表する名優なのか疑うほど、その演技(??)は素晴らしい。たくさんの容疑者を拷問して殺害するのは、かくも日常的なのだ。しかし、演技や演出では生み出しえないものがあると思う。目隠しし、首に殺害のために針金を巻く男がこう被害者に囁く「ほら、メダルをかけてやるよ」こんなことはシナリオライターには書けない、実際に殺した人間だけが覚えている現実だと思う。
非道のコンゴ翁が虐殺現場で状況を説明している途中で急に吐き出す。何度も何度も胃の内容物を吐き出そうとして、何も吐けず苦悶する。はたして演技なのだろうか?
映画が終わって、監督のオッペンハイマーから始まって、出演者・映像関係者の名前そしえエキストラまでの名前が画面に流れる。誰も席を立つものがいない。その延々と続く多数のエキストラの名前は皆同じだ「anonym」(匿名)、今になっても、この映画に出演し、あるいは映像化に参加しただけで、いつかは自分や家族に累が及ぶかもしれないと考えるのだろう。 これが、虐殺者が自分がやった殺人を演じるという類をみない映画、そしてその題材となったインドネシアの現実なのだ。
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